「日記に何を書けばいいんだろう」と思ったことはありませんか?
日記を書いてみようと思ったものの、ノートを前にすると手が止まってしまう。 「今日あったことを書けばいいのかな」 「特別な出来事なんてなかったし……」 「毎日続けられるだろうか」 そんなふうに考えて、結局何も書かないまま終わってしまうこともあるかもしれません。 でも、人生後半の日記は、立派な文章を書くためのものではありません。 毎日の出来事を細かく記録する必要もなければ、誰かに読んでもらう必要もありません。 むしろ日記は、自分でもはっきり言葉にできていない気持ちを、少しずつ見つけていくための時間にもなります。 今日は何があったのか。 何が印象に残ったのか。 そして、自分は何を感じたのか。 ほんの少し立ち止まって、それを書いてみる。 そんな小さな習慣が、これからの暮らしを見つめ直すきっかけになるかもしれません。日記は「一日の報告書」でなくてもいい
日記と聞くと、 「朝7時に起きた」 「買い物へ行った」 「夕食は○○を食べた」 と、一日の出来事を順番に書くものを想像する人もいるでしょう。 もちろん、それも立派な日記です。 ただ、「何を書けばいいかわからない」と感じるなら、出来事を全部書こうとしなくても大丈夫です。 例えば、その日の終わりに一つだけ考えてみます。 今日、一番印象に残ったことは何だっただろう? そして、それを書いてみる。 「久しぶりに友人と電話で話した」 「散歩中にきれいな花を見つけた」 「少し疲れていた」 「テレビで見た話が気になった」 これだけでも十分です。 文章になっていなくても構いません。 「散歩、気持ちよかった」 「友人、元気そうだった」 「今日は少し疲れた」 そんな短い言葉でも、自分の一日を残すことはできます。出来事よりも「どう感じたか」を書いてみる
日記を書くとき、少し意識してみたいのが、その日に起こった出来事だけではなく、 自分がどう感じたのか ということです。 例えば、 「友人と会った」 だけではなく、 「友人と話して、思った以上に楽しかった」 「散歩をした」 だけではなく、 「歩き始めるまでは面倒だったけれど、外へ出ると気持ちよかった」 というように、感じたことを一言加えてみる。 すると、ただの記録だった日記が、少しずつ「自分を知るための記録」になっていきます。 何に心が動いたのか。 何が楽しかったのか。 何に疲れたのか。 こうしたことは、その日のうちは気づかなくても、書き残しておくと後から見えてくることがあります。日記を書いていると「今の自分」が見えてくる
日記の面白さは、書いている瞬間だけではありません。 少し時間が経ってから読み返したときに、新しい発見があります。 「最近、本のことをよく書いているな」 「散歩をした日は気分がいいようだ」 「友人と会った日は楽しそうだ」 「同じことで何度も悩んでいる」 そんなことに気づくかもしれません。 自分自身のことは、毎日一緒にいるだけに、かえって見えにくいものです。 しかし、言葉として残しておくことで、少し離れた場所から自分を見ることができます。 人生後半になって、 「これから何を楽しんだらいいのだろう」 「何か新しいことを始めたい」 と思っている人にとっても、日記は一つのヒントになるかもしれません。 以前の記事「定年後に何を学ぶ?|これからの人生を豊かにする「自分に合った学び」の見つけ方」でもお伝えしたように、これからの学びは、必ずしも資格や仕事に役立つことだけではありません。 日記を読み返したときに何度も登場するもの。 つい気になってしまうこと。 もっと知りたいと思ったこと。 そこには、自分に合った学びの種が隠れていることがあります。「何もない一日」こそ書いてみる
「今日は特に何もなかった」 そんな日もあります。 朝起きて、食事をして、テレビを見て、買い物へ行って、一日が終わる。 特別な出来事は何もなかった。 だから日記には書くことがない。 そう思うかもしれません。 でも、本当に何もなかったのでしょうか。 例えば、 「今日は静かな一日だった」 「久しぶりにゆっくり昼寝をした」 「夕方の空がきれいだった」 「何となく気持ちが落ち着かなかった」 そんなことも、その日の自分にとっては一つの記録です。 人生後半になると、特別なイベントよりも、何気ない日々の時間が大切に感じられることがあります。 日記は、そんな日常を残す場所でもあります。本を読んだ日の一言も立派な日記になる
読書を楽しんだ日なら、その日に読んだ本について一言残してみるのもいいでしょう。 「この言葉が気になった」 「昔のことを思い出した」 「続きが読みたくなった」 詳しい読書感想文を書く必要はありません。 一言だけでも、そのとき自分が何を感じたのかを残せます。 以前、「定年後に本を読む時間が増えたら|人生後半の読書を楽しむ工夫」という記事でも、読書は知識を得るだけではなく、自分自身の時間を豊かにするものだと考えました。 読んだ本と、そのとき感じたこと。 それを日記に残しておくと、後から読み返したときに、 「この頃はこんなことに興味があったんだ」 と気づくこともあります。 読書の記録と日記は、意外に相性がいいのです。毎日書かなければならない、と思わない
日記を始めると、多くの人が「続けなければ」と考えます。 三日坊主になった。 数日書かなかった。 また続かなかった。 そんなふうに、自分を責めてしまうこともあります。 でも、日記は誰かに提出するものではありません。 毎日書かなければ失格、ということもありません。 書きたい日に書く。 気になったことがあった日に書く。 一週間に一度、自分の時間を振り返る。 それでも十分です。 人生後半の習慣は、無理をして続けることよりも、自分の暮らしの中に自然に残ることの方が大切なのではないでしょうか。 一度やめても、また書きたくなったら始めればいい。 そんな気楽さがあってもいいと思います。ノートでなくてもいい
日記を書くために、立派なノートを用意する必要もありません。 手帳の片隅でもいい。 使っていないノートでもいい。 スマートフォンのメモ機能でも構いません。 最近では、音声入力を使って、思いついたことを言葉で残すこともできます。 大切なのは、どの方法を使うかよりも、 自分が続けやすい方法を見つけること でしょう。 「字を書くのが苦手だから」 「ノートを開くのが面倒だから」 という理由で日記をあきらめる必要はありません。 一日の中で、 「少しだけ自分のことを振り返る」 時間があれば、それでいいのです。日記は「未来の自分への手紙」になる
数か月前の日記を読み返してみる。 数年前の自分の言葉を読む。 すると、 「この頃はこんなことを考えていたんだな」 と思うことがあります。 当時は大きな悩みだったことを、今はすっかり忘れているかもしれません。 逆に、何気なく書いた一日の出来事が、後から読むと懐かしく感じることもあります。 だから私は、日記は未来の自分への小さな手紙のようなものだと思います。 今の自分には何でもない一日でも、未来の自分にとっては、もう一度会いたい時間になるかもしれません。 そして日記は、過去を振り返るだけのものでもありません。 今、自分がどんなことを考えているのか。 これから、何をしたいと思っているのか。 そんなことを少しずつ書いていくことで、未来について考える時間にもなります。70’spapaが思う「書くこと」の役割
私は長く整体の仕事を続けてきました。 その中で感じてきたのは、体を整えるときも、暮らしを整えるときも、最初に必要なのは、 「今、自分がどうなっているのかに気づくこと」 だということです。 疲れていることに気づかなければ、休むこともできません。 自分が何を楽しんでいるのかに気づかなければ、それを増やすことも難しいでしょう。 書くことは、頭の中にあるものを外に出して、少し離れたところから自分を見る方法の一つです。 もちろん、日記を書けば人生のすべてが解決するわけではありません。 でも、何となく過ぎていく毎日の中で、少しだけ立ち止まる時間をつくることはできます。 それだけでも、十分意味があるのではないでしょうか。まずは「今日、一番印象に残ったこと」を一つ
日記を始めるなら、難しく考える必要はありません。 今夜、 「今日、一番印象に残ったことは何だったかな?」 と考えてみてください。 そして、一つだけ書く。 「友人から電話があった」 「散歩が気持ちよかった」 「今日は少し疲れていた」 「面白い話を聞いた」 「夕食がおいしかった」 それだけで構いません。 文章が上手である必要もありません。 毎日続ける必要もありません。 誰かに見せる必要もありません。 自分のために、一日の中から一つだけ言葉を残す。 その小さな習慣が、今の自分を知ることにつながり、これからの暮らしを考えるヒントになるかもしれません。 人生後半は、何かを新しく始めるだけでなく、今の自分をもう一度知る時間でもあります。 日記は、そのために特別な準備を必要としない、小さな「書く習慣」なのです。※この記事は、日記を書くことを通して日常や気持ちを振り返る方法について紹介したものです。強い気分の落ち込みや不安が長く続く場合は、一人で抱え込まず、医療機関や専門の相談窓口へ相談してください。
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この記事を書いた人
70’spapa
43年間、整体の現場で多くの人生に寄り添う中で、 体だけではなく、心や暮らし、人とのつながりが人生を支えることを学んできました。
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