なぜ「肩書き」が頼りになる人ほど、定年後に居場所を見失うのか
定年を迎えて、最初はほっとする。肩書きという名前の重さから、少しだけ降りられる解放感のようなものがある。
ただ、その解放感は、数ヶ月もすると別の感覚に変わっていきます。
「○○会社の部長」
「○○の責任者」
「業界○○年の専門家」
そういう言葉が付いてこなくなった自分を、ふと鏡のように見せられる時間が増える。
地域活動に参加すれば自己紹介の瞬間で困る。友人と会えば「最近どう?」と聞かれて言葉が詰まる。家族との会話にも、どこか空白が生まれる。
肩書きは、とても便利な「居場所の名札」でした。その名札が外れたとき、居場所そのものを失ったように感じるのは、ごく自然なことです。
「失った」のではなく、「次の名札を、もしかすると自分で書いていい時間に入った」と、少しだけ角度を変えてみませんか。
肩書きを外したあとに、静かに残るもの
肩書きを外したときに残るものを、私は三つに分けて考えています。
- 暮らしのなかで続けてきた習慣
- 人や場と関わるときに自然に動く身体の反応
- 言葉にしないまま後回しにしてきた小さな興味
この三つは、長い時間会社勤めをしていたとしても、多くの人の中に静かに残っています。定年を機に、自分の時間が増えたとき、こうした「静かだったもの」がふっと顔を出すのです。
問題は、ようやく顔を出したそれを、本人が気づかないまま通り過ぎてしまうことです。
「退職して暇になったから、何かやらなければ」
そう構えてしまうと、肩書きの代わりに「大きな役割」を探してしまいます。でも、肩書きに代わる大きな肩書きを、もう一度貼り直そうとすると、今度はそれが次の負担になりやすい。
居場所が見つかる人に共通しているのは、肩書きの大きさではなく、肩書きのない自分と、丁寧につきあっていることです。
よくある小さな勘違い
「居場所がない」「役割がない」と感じる人の多くは、本当は役割を探しているのではなく、役割にならないと、ここにいてはいけないと思い込んでいます。居場所は、肩書きで買うものではなく、居場所にいることで役割が生まれてくるものです。
居場所が見つかる人に共通する「小さな役割」の見つけ方
整体の現場で、ずっと不思議に感じていることがあります。
長く通ってくださる患者さんのなかに、明確な役を持たない方がいます。組織の中で上に立つわけでもなく、町内会の役員でもない。でも、その方が来ると場の空気がほどよく変わる。
例えば、待合で同じ時間にいらした別の患者さんに、自然に「お茶どうぞ」と声をかける方。
「次の方はいつ頃ですか」と聞いて、後に続く方の気持ちを軽くする方。
整体の手技ではなく、こういう動きの中に、その人らしい小さな役割が宿っているのを、私はこの現場で何度も見てきました。
居場所が見つかる人に共通しているのは、次のような姿勢です。
- 誰かの一歩手前に、そっと手を添える
- 自分の語りたいことより、場の空気を先に読む
- 役割を探すのではなく、今いる場所で何ができるかを見る
- 「役に立つ」より「ここにいる」を大切にしている
読者の皆さまへの、ひとつの問いかけ
最近、あなたの周りにいる人のなかで、ふと「ちょっと助かった」と感じた瞬間はなかったでしょうか。
それは、役割を探さなくても、すでにあなたが居場所の一員として動いているサインかもしれません。
「肩書きのない役割」を、もう少し具体的に見てみましょう
小さな役割を見つけるために、やりがちなのは「趣味を探す」「ボランティアを探す」という方法です。それも大切ですが、その前に、もう少し足元を見てみたい。
例えば、散歩の途中で顔なじみになった人がいれば、あなたはすでに「毎日あそこを歩く人」として、その場にいます。
スーパーや公民館で、定期的に顔を合わせる人がいれば、あなたはすでに「あの時間の、あの場所の一員」です。
そういう既存の暮らしの線の上に、もう少しだけ何かを足す。声をかける、予約を代わりに聞く、知らない人の話の聞き役になる。
こういう動きが、肩書きのない役割の始まりです。
大きなことを始めようとするより、今の暮らしの線を一、二本だけ太くする。肩書きのない役割は、その太くなった線の上に、そっと座っています。
整体師として現場で見てきた、肩書きを手放したあとの人
整体師として長く勤めてきた時間のなかで、印象に残っている方がいます。
大きな会社の管理部門を長く勤め上げ、定年後の数年間、うまく眠れない時期があり、「自分は何もしていない」とおっしゃっていた方です。
しばらくして、その方はご近所の小学生の登下校を、見守るようになりました。きっかけは、孫が通う小学校の近くの道を散歩していたとき、「おじちゃん、毎日いるね」と声をかけられたこと。
それが登下校の見守りに広がり、地域のお祭りでは若い方と一緒に椅子を運ぶ役を引き受けるようになりました。
「肩書きのない役割」を作っていかれたというより、肩書きを手放したあとに、自分の暮らしの線の上で出会った人たちと、少しずつ役割を分け合っていったというほうが、正確だったと思います。
肩書きを外すことは、何かを失うことではありません。「肩書きで証明しなくても、ここにいていい」ことを、自分の体で確かめ直す時間だと、私は考えています。
今、少しだけ試せる小さな一歩
最後に、今日から少しだけ試せることを、四つだけまとめておきます。
- ① いつもの道で、顔を覚えてもらう
同じ時間に、同じ道を歩く。それだけで、三ヶ月もすると「あの人ね」と覚えてくれる方が現れます。 - ② 地域のチラシや掲示板を、月に一度眺める
何も応募しなくても、行事や集まりを把握しているだけで、会話のきっかけになります。 - ③ まずは「聞き役」を引き受ける
誰かが話す場にいて、相槌を打ち、名前を覚える。それだけで、場の空気は変わります。 - ④ 家族に「最近、こう感じる」と短く話してみる
言いにくい話ほど、短く、家族に。肩書きのない自分を、家族が最初に受け止めてくれる場合が多くあります。
肩書きのない居場所は、決して無ではありません。今日、少しだけ自分の暮らしの線を太くすれば、来月また少し違う景色が見えます。焦らなくて大丈夫です。
よくあるご質問
定年後、早めに居場所を見つけた人と、長く探している人の違いは何ですか。
多くの方は、活動量そのものではなく「探す順番」が違います。居場所が見つかる人は、新しい活動を足す前に、まず今の暮らしの線を見直すことが多いです。なかなか見つからない方は、新しい活動を足すことばかりに目が向きがちで、結果として暮らしの線が散らかり、居場所が見えにくくなります。
肩書きがないことを、人にどう説明すればいいかわかりません。
はじめに肩書きを名乗る必要はありません。「今、少し時間が増えて」「このあたりに長く住んでいて」、その程度で十分です。肩書きがない状態は、説明すべき欠落ではなく、これから書く余白だと考えてみてください。
家族以外との会話が減ってきています。少し心配です。
会話の量が減ること自体は、自然な年齢の変化でもあります。ただ、「誰とも話したくない」が長く続くときは、地域のサロンや公民館の活動に、一、二度だけ顔を出してみるのも一つの目安です。いきなり参加しなくても、見に行くだけ、夜に家族と話すだけでも、立派な一歩です。
マッチングサービスや仲間探しも、定年後の居場所になりますか。
友人や仲間を見つける一つの手段として向き合うことはできます。ただし、本人確認のしっかりしたサービスか、月額や退会方法などの料金がはっきりしているか、登録前に家族や信頼できる方に話すか、こうした点を一つ一つ確認してから動くのが、結果的に遠回りにならない近道です。焦って登録を進めるより、見学のつもりで情報収集から始める方が、長く安心して使えることがあります。
肩書きを外したあとの時間は、これまでたくさんの荷物を背負ってきた分、少し静かで、少し広い時間です。その広い時間の中で、肩書きのない自分を、もう一度、今の暮らしの線の上に置いてみてください。
役割は、探しに行くものではなく、置いてある場所で見つかるもの。居場所は、肩書きに守られた場所ではなく、肩書きを手放したあとに、そっと座れる場所です。
あなたの暮らしの線の上に、これからどんな名前を少しずつ書いていくかは、きっとこの先の時間で、静かに決まっていきます。
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この記事を書いた人
70’spapa
43年間、整体の現場で多くの人生に寄り添う中で、
体だけではなく、心や暮らし、人とのつながりが人生を支えることを学んできました。
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